(1999年9月5日改訂)
■はじめに
広大附中・高 管弦楽班は30年近い歴史がありますが、その間のあゆみや演奏曲目などをまとめた資料はほとんどありませんでした。しかし、アカシア会会報(1999年7月)に母校管弦楽班の紹介記事を掲載するために、南部さん(73回卒)、越智(亀井)さん(70回卒)からの呼びかけに応じて、アカシアオーケストラメーリングリスト(電子メール)参加のOB各位から様々な情報を戴きました。そこで、1984年度版OB会名簿に掲載の演奏曲目リストや、各種会合でOB各位から戴いた情報も加えて、「管弦楽班のあゆみ」をまとめました。
内容は随時改訂いたしますので、OBの皆様より追加や修正などの情報をお寄せいただきますようお願いいたします。
(注)本文中の人名は原則として当時の姓のまま記載し、卒業回数と楽器を( )内に付記しています。
★印は演奏会以外の行事やエピソード、☆印はOBの皆様自身の思い出やコメントなどです。
情報を提供戴いた方々:長島先生,菅先生,児島(65Vn),平尾(68Per),松村(68Trp→Hr),舘(68Trb→Ob),宮村(菊池)(69Cl),有田(70Vn), 越智(亀井)(70Hr→Vn),伊藤(70Trb,Cond),石井(71Per),烏田(71Fl),青木(松村)(71Cl→Vn),檜垣(72Ob),山崎(77Cl),新角(78Per),梶(81Vn),三宅(82Trb,Vn),大魚(82Cb),井手口(87Trb) [敬称略,( )内の数字は卒業回数,アルファベットは楽器の略号]
(1999年5月29日作成,1999年9月5日加筆修正,編集者:舘(68Trb→Ob))
1970 | 1975 | 1980 | 1985 | 1990 | 1995 | 2000 |
1971 | 1976 | 1981 | 1986 | 1991 | 1996 | |
1972 | 1977 | 1982 | 1987 | 1992 | 1997 | |
1973 | 1978 | 1983 | 1988 | 1993 | 1998 | |
1974 | 1979 | 1984 | 1989 | 1994 | 1999 | その他 |
★野波先生着任:4月に野波先生(Vn)着任。弦楽合奏団設立。(児島(65Vn))
■昭和46年度(1971)班長:野田(64Trb)、指揮:鍬田(64Vn)
管弦楽班設立 吹奏楽班と弦楽合奏団を統合して管弦楽班設立。12月6日(月)に初練習。
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★管弦楽班創設の経緯は?:吹奏楽班がコンクールに出たが結果は芳しくなく、当時盛り上がってきていた弦楽合奏団と合併したと聞いていますが、正式に管弦楽班が設立された時期は不明。第1回定演パンフには管弦楽班結成は1972年で初代班長は高木班長との記載もあり。(舘(68Trb→Ob))
★私が聞いた話は、双方同好会落ちの危機に際して合併した、ということでしたが。(山崎(77Cl))
■昭和47年度(1972)班長:水本(65Trp)、指揮:鍬田(64Vn)
新入生歓迎会(中・高)
シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」
学校祭
モーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K.525、
スメタナ/「わが祖国」より“モルダウ”、ロッシーニ/歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★頼近美津子さんも出演:元アナウンサー(現在はコンサートプランナー)の頼近美津子さん(64)もVc奏者として新入生歓迎会に出演していた。(児島(65Vn))
☆私が(中学の管弦楽班に)入部したのは、昭和47年の9月だったと思います。このとき、高校の管弦楽班は設立していたかも知れないけど、まだ班会(会議)では、オーケストラでいくのか、ブラス+弦楽でいくのか の議論があった記憶があります。この議論はこの年限りで終わり、オーケストラでいくことが決まったようです(当時私は中1で、議論の内容が良く分からなかった..)。中学の吹奏楽班と弦楽同好会が合併し、管弦楽班になったのは、昭和48年(または、47年の年度末?)だったでしょう。(松村(68Trp→Hr))
■昭和48年度(1973)班長:児島(65Vn)、指揮:鍬田(64Vn)
新入生歓迎会
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番、モーツァルト/「レ・プティリアン」
学校祭
「サウンド・オブ・ミュージック」、シベリウス/交響詩「フィンランディア」、
アンダーソン/「タイプライター」、
バッハ/組曲第2番より“アリア”,“ロンド”(Fl独奏:河相(64))
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤコーラス”
卒業生送別会
(中) 蛍の光他(中学生班員のみで演奏)
(高) 「日本の四季」より“春が来た”,“花”,“雨”(高校生班員のみで演奏)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
☆長島先生の附属との出会い:附属文化祭にエキストラで出演しました(附属との初めての出会い)。「フィンランディア」のとき、野波先生が私の隣でチェロを弾かれた。(長島先生)
■昭和49年度(1974)班長:山本(66Trb→Trp)、指揮:佐久間(66Fl)
新入生歓迎会
J.シュトラウス「皇帝円舞曲」、?/「白い恋人たち」、?/「雨にぬれても」
学校祭(講堂にて、高:9月20日,中:9月22日)
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」より第3,4楽章、
ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“ファランドール”
卒業生送別会(講堂にて、中:3月8日)
(中) 蛍の光他
(高) ?
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★代吹き・代弾き・譜面の書き替え:この頃まではバリトンやサキソフォーンなど、オケであまり使わない楽器も2nd TrbやFgの代わりに使用し、FlがObの楽譜を演奏したりしていた。楽譜の書き替えや代吹きは当たり前の時代だった。備品のオーボエは、この年あたりに購入してもらった。 (舘(68Trb→Ob))
☆初のビオラ奏者:確か、当時はVaがいなくて、私を含むVn初心者の中1生4人が3rd VnとしてVaパートを演奏しました。演奏会(学校祭)後に、4人のうち2人がVaに転向し、初のVa奏者となりました。(有田(70Vn))
★“伝説”のハプニング:中学学校祭の演奏で、当時のコンマス児島さん(65Vn)の弓が舞台の下まで飛んで、なおかつ観客に拾ってもらって演奏を続けたというハプニングが起こった(新世界第3楽章)。児島さんが弓を拾いに行く際の、ミシリ!ミシリ!というステージの床のきしみ音までも含め、一部始終は録音にも現存している。改装前の講堂だったので崩れそうな床だった。(舘(68Trb→Ob))
★楽器店で楽譜を書き写し:学校祭で、ステージの幕が上がる前にR.シュトラウス/「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭を演奏し、演奏中に幕が上がってゆくという演出をした。この時の楽譜は指揮の佐久間さん(66Fl)が、広島の某楽器店で店員に、冒頭の部分だけだからと頼み込んで、店内でスコア(総譜)を書き写してきたものだった。(「ツァラトゥストラ」のスコアは輸入物で高かった。)(舘(68Trb→Ob))
☆実はあの「弓飛ばし事件」の前日(だったと思います)、舞台上でのチューニング(あの頃はClがObの代わりにAの音を出していた)の直後、私のClが、突然全ての音が出なくなってしまい、指揮者(佐久間氏)にサインを送ったのですが、あまりの緊張からか気づいてもらえず、そのまま一曲、1stCl音無しで終わってしまいました。後で調べてみたら、タンポがぬれていたのが原因のようでした。(宮村(菊池)(69Cl))
■昭和50年度(1975)班長:村田(68Trp)、指揮:塚脇(68)、野波先生
新入生歓迎会(中のみ)
楽器紹介、他
学校祭(講堂にて,9月14,15日)
(中)「愛情の花咲く樹」、ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より"冬"(Vn独奏:杉原(71),落藤(71))、
ベートーヴェン/「エグモント」序曲
(高)「太陽にほえろ」のテーマ、「愛情の花咲く樹」、
ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より"冬"(Vn独奏:武田(68),寺本(68))、
ベートーヴェン/「エグモント」序曲
付属70周年記念演奏会(指揮:早川正昭,広島大学交響楽団と合同演奏,広島市公会堂にて,10月17日)
ビゼー/「アルルの女」第2組曲
卒業生送別会
(中)ヴィヴァルディ/2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調(Vn独奏:杉原(71),落藤(71))
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番,第6番、校歌
(高)ヴィヴァルディ/2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調(Vn独奏:武田(68),寺本(68))、
ブラームス/ハンガリー舞曲第6番
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★新入班員の当たり年:中1の杉原さん(71Vn)、落藤さん(71Vn)、高Iの武田さん(68Vn)、和田さん(68Cond)など、後にコンマスや指揮などで活躍した即戦力の逸材が入班。(舘(68Trb→Ob))
★正座の刑:学校祭直前には朝7時半からの早朝練習(合奏)も行っていた。さぼった人は放課後にさぼった時間だけ正座して反省した。班長が執行する“正座の刑”は南部班長の頃まで続いた模様。(舘(68Trb→Ob))
☆サボり魔の私は、サボりか遅刻の罰則で正座30分(1時間?)の罰をくらった記憶があります。他にもちょくちょく正座の刑が執行されていたような記憶があります。(有田(70Vn))
☆当時箱田先生が「ピアノの上に物を置いてはいけない」「ピアノは物置ではない」と口癖のようにおっしゃっておられました。学校祭に賛助出演していただいた対馬先生(Vc)は、合奏練習の休憩時、はしゃぐ団員を見て危険を感じたのでしょう。チェロをひょいと持ち上げてピアノの上に置かれました。一同、妙に納得してしまったのです。この後、「ピアノの上に置いても良いチェロ」というjokeが流行ったような...?(児島(65Vn))
☆校長先生が感激された「四季」:中学校学校祭で、当時中1だった杉原さん(71Vn),落藤さん(71Vn)が独奏をしたヴィヴァルディ「四季」より“冬”に、野地校長先生がいたく感激されました。(舘(68Trb→Ob))
★“代打”打楽器奏者:高校学校祭(9月15日)の朝、平尾さん(68Per)が交通事故に遭い小指を骨折、出演不可能に。急きょ、班員ではない高3のティンパニー経験者の方に代理を依頼、1時間の猛特訓の後、本番に出演してもらった。(舘(68Trb→Ob))
☆洗濯ばさみ:3階の音楽室や廊下は風通しが良く、夏場の合奏や個人練習では譜面が飛ばないように、洗濯ばさみが必須アイテムでした。当時、他人の背中に洗濯ばさみをこっそり付けるイタズラも結構流行しました。(舘(68Trb→Ob))
★“福山遠征”:10月12日に、70周年記念演奏会での広大交響楽団との合同演奏のため、班員より22名と野波先生,OBの児島さんらが広大福山分校まで“遠征”。アルルの女第2組曲を練習。(舘(68Trb→Ob))
☆広大オケ時代の長島先生:70周年記念演奏会では、管弦楽班と「アルルの女」第2組曲を共演した。このほかに、学生歌(?)をオケに編曲し、箱田先生の指揮で演奏したことを覚えている。校歌もオケで演奏したかもしれない。(?)野波先生が指揮をされたのではないだろうか。また、入江さんのソロでリストのピアノ協奏曲を演奏した。この曲は、広大オケにアカシア会員の方が加わって演奏した。(長島先生)
☆B♭管だけで演奏するClパート:あの頃は、ClはB♭管しかなく、A管での楽曲は、♯や♭が5つもつくような、とんでもない楽譜(もちろん自分で書きなおす)を演奏しておりました。
70周年の広大オケとの共演のとき、福山のキャンパスまで出かけて行って合同練習をしました。そのとき、広大のClの方に「そんなので演奏しているの?」と、驚かれてしまったのを覚えています。「アルルの女」の中で、A管の最低音がありますが、B♭管では出ないので、考えた挙句、Clのジョイント部分を全部伸ばして、無理やり出しました。そのときに、当時の顧問の野波先生が見かねて、クラブの備品としてA管を一本購入してくださいました。しかしながら、それまでB♭管で練習してしまっていたので、いまさらA管に代えるわけにもいかず、最低音1音だけ持ち替えて演奏しました。(宮村(菊池)(69Cl))
☆備品のA管はまだ現役です。まだ(1999年時点では)これ1本しかないようです。(山崎(77Cl))
☆“島”と罰ゲームの“セミ”:当時から茶話会やクリスマス会などでは、“島”,“電流ゲーム”,“ハンカチ落とし”などのゲームを良くやっていました。“島”というのは、2人ずつが組になって立って行なう、鬼ごっこのようなゲーム。10月19日に遊んだ際、最後に鬼だった児島さん(65Vn)は、罰として木に登って“セミ”のまねをしました。この“島”,“セミ”は、管弦楽班でその後20年近くも行われた模様です。(舘(68Trb→Ob))
☆“セミ”はまさに夏の風物詩でしたねえ。(石井(71Per))
☆“島”は、私もよくやりました。憧れの先輩に接近できるチャンスでした(!?)。一番良く覚えてる「セミ」は沖井君(81Cb)で、木の上まで登って、やけくそで鳴いてたなぁ。(山崎(77Cl))
☆“島”と“セミ”は、私が入った頃(1990年代前半)はよくやっていました。定演翌日の引継会が終わった後とか、クリスマス会の後とか、所見大会の後とかにコンスタントにやっていた気がします。当時のアルバムをめくると、木にしがみついて鳴いている三宅さん(82Trb,Vn)の写真があったりします。(井手口(87Trb))
■昭和51年度(1976)班長:鎌田(68Trb)→下前(69Cb)、指揮:和田(68)、野波先生
新入生歓迎会(講堂にて、中:4月10日,高:4月17日)
(中)ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より“春”第1楽章、ベートーヴェン/「エグモント」序曲
(高)ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より“春”(Vn独奏:杉原(71),武田(68))、
ベートーヴェン/「エグモント」序曲、アンダーソン/「タイプライター」
学校祭(講堂にて,中・高:9月18日,サークル公演:9月19日)[当時のメンバー]
(中)モーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K.525第1楽章、
ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲、校歌
(高・合同ステージ)ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲、
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より”ハレルヤコーラス”
(サークル公演)ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番第1楽章(Pf独奏:横山(69Vc))、
モーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K.525第1楽章、
シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」第1楽章
卒業生送別会(講堂にて、高:1月29日,中:3月5日)
(中)モーツァルト/ディベルティメント へ長調K.138第1楽章、
チャイコフスキー/組曲「白鳥の湖」から”情景”
(高)上記2曲と、モーツァルト/交響曲第40番ト短調K.550第1楽章
卒業式(中・高、3月12日)
モーツァルト/ディベルティメント へ長調K.138 第1,2楽章、ヘンデル/「ラルゴ」、蛍の光
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★初のファゴット奏者:備品のファゴットをこの年の夏に購入していただき、保手浜さん(69Fg)が初代Fg奏者となった。この年の学校祭ではOb,Fgが1本ずつ揃い、オケとしての編成も整ってきた。また、合唱との合同演奏、協奏曲、弦楽合奏などレパートリーも広がった。(舘(68Trb→Ob))
☆名物教師の話題で盛り上がる合奏練習:和田さん(68Cond)指揮の合奏練習といえば、最初の3分間位は物理の「F先生」の“黒板叩き”などの話で、平尾さん(68Per)と二人が盛り上がっていました。「ほいっち どぅ ゆぅ らいく べった〜ぁ?(Which do you like better?)」 など英語のT先生の独特の発音や、数学のI先生の話も、良く合奏練習中にしていました。 (舘(68Trb→Ob),青木(松村)(71Cl→Vn),烏田(71Fl))
☆「カルピスタイム」:夏休みなどの練習で、休憩時にカルピスを作って飲んでいたが、この年の7月26日の練習時に野波先生が「休憩」とは言わずに「カルピスタイム」とおっしゃった。このネーミングは今(1999年)も続いている。(舘(68Trb→Ob))
☆“ピアノ・ハープ”:「白鳥の湖」の情景をやったとき、講堂の年季の入ったピアノで、ハープのパートを弾きました。ちょっとこもったようなグランドピアノの音色がハープらしさを引き出してくれて、いつもは滅多にほめてくれない(?)、和田さんか平尾さんに「ハープにきこえたよ」と言ってもらったのが、とても嬉しかったのでした。(青木(松村)(71Cl,Pf→Vn))
★卒業式で初めて演奏:弦楽と木管の編成で、初めて卒業式で演奏した。(舘(68Trb→Ob))
■昭和52年度(1977)班長:下前(69Cb)→飯田(70Hr)、指揮:和田(68)、野波先生
新入生歓迎会(講堂にて、中:4月11日,高:4月16日)
(中)モーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K.525第1楽章、
チャイコフスキー/組曲「白鳥の湖」から”情景”,”ワルツ”
(高)モーツァルト/交響曲第40番ト短調K.550第1楽章、
チャイコフスキー/組曲「白鳥の湖」から”ワルツ”
第1回広島県高校音楽祭(広島基町高校にて)
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
第1回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、7月30日)
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ハイドン/交響曲第104番ニ長調「ロンドン」、
ベートーヴェン交響曲第7番イ長調、
グリーク/「ペールギュント」第1組曲より“オーゼの死”(アンコール曲)
学校祭(講堂にて、中・高:9月17日,サークル公演:9月18日)
(中)グリーク/「ペールギュント」第1組曲より”山の王の殿堂にて”、
「ヘイジュード」、大河ドラマ「花神」テーマ音楽
(高・合同ステージ)ハイドン/交響曲第104番ニ長調「ロンドン」第1楽章、
大河ドラマ「花神」テーマ音楽、ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤコーラス”
(サークル公演)J.シュトラウス/皇帝円舞曲、モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調K.543
卒業生送別会(指揮:野波先生、高:1月28日,中:3月)
(中)メンデルスゾーン/「真夏の夜の夢」より“結婚行進曲”
(高)上記1曲と、シューベルト/「ロザムンデ」序曲
卒業式(中・高)
前年度に同じ
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★初の定期演奏会を開催:1976年の学校祭の頃から(?)定演実施への機運が高まり、野波先生,箱田先生のご尽力や、野地校長先生をはじめとする学校のご理解・ご支援により、長年の念願がかなった。のちに顧問となる長島先生もエキストラとして出演された。(舘(68Trb→Ob))
☆手作りの譜面台紙:定演の譜面台の台紙作りに、スクリーントーンを使って、色画用紙に一枚一枚、校章を印刷しました。何にもなかったですから。もちろん出演メンバーはOBの方や、野波先生の知り合いの方など、「トラ・トラ・トラ」状態でした。ObとVcでプロ(?)の方が参加してくださり、一挙にランクアップした演奏となりました。何もかも思考錯誤で大変でしたが、いい思い出です。(宮村(菊池)(69Cl))
☆初代ステージマネージャー:第1回定演時は、演奏会のイロハも分からず、コンマスと、パートリーダー、楽譜係以外、殆ど役割分担もできていない中で、20名近いエキストラの方々のお世話など、果たしてちゃんと演奏会が出来るのか?といった状況でした。当時高1だった私は、班長の下前くん(69Cb)と相談して、ステージでの演奏には乗らず、マネージャーに徹することにしました(その後、2年間しました)。第1回定演では、児島さん(65Vn)が連れてきて下さったワグネルのエキストラの方の中のお一人が、とても親切に、ステマネの仕事について教えてくださいました。
数年前、OBオケ演奏会のお世話をしたとき、指揮を終えて袖に戻ってこられた長島先生が、「亀井さんが袖にいてくれて、ああ、附属のオケなんだなあと思ったよ」とおっしゃってくださいました。最高に嬉しかったです。あのときも、20年前同様に、汗拭きタオルを手に、先生をお迎えしました・・・ね!先生。(越智(亀井)(70Hr→Vn))
☆ベト7のあのリズムがあわず、苦労しましたよね。懐かしいなぁ。(有田(70Vn))
☆何人かのプロの音楽家の卵が在籍していた頃:私が在籍した頃(1977〜79年)の附属オケは実に大人びた雰囲気で、また話題となる音楽論も高度でびっくりした記憶があります。(まるで大学生の話のようでした)また、和田さん(68Cond)、横山さん(69Vc)、杉原さん(71Vn)ら何人かのプロの音楽家の卵が在籍していた時代です。特に和田さんの話は大変面白かった。Mozartの音楽の魔力や、Wagnerのトリスタンやリングの素晴らしさを、チェロの実演を交えて聞かせて頂きました。田舎者の私には大変な刺激!で、全く未知だったWagnerを知るために、当時始まったばかりの「バイロイト音楽祭」のFM放送を聴こうと頑張った記憶もあります。(しかしトリスタンの魅力が本当に分かったのはずっと後のことです)(伊藤(70Trb,Cond))
■昭和53年度(1978)班長:飯田(70Hr)→望月(71Trb)、指揮:伊藤(70Trb)、長島先生
新入生歓迎会
モーツァルト/歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲
第2回広島県高校音楽祭(広島基町高校にて)
モーツァルト/歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲
第2回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
モーツァルト/歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲、
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番K.218(Vn独奏:杉原(71))
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調、アンダーソン/「タイプライター」(アンコール曲)
学校祭
(中)ロッシーニ/「どろぼうかささぎ」序曲、ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“牧歌”
(高・合同ステージ)ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲、ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲、
ビゼー/「アルルの女」第2組曲より”間奏曲”
卒業生送別会
(中)シベリウス/交響詩「フィンランディア」
卒業式(中・高)
バッハ/組曲第3番より“アリア”、ヘンデル/「ラルゴ」、蛍の光(弦と木管のみ)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★長島先生就任。
☆長島先生のご結婚が、確か就任されたこの年(1978年)で、練習のときに先生のためにメンデルスゾーン/結婚行進曲を演奏したことを覚えています。練習の最初の、起立、礼、のあと、トランペットだけさっさと座って吹き始めたのでした(2回目の中間部の後から)。(檜垣(72Ob))
★定演では、まだ弦,Ob,Fgなどの主要パートにOB以外のエキストラが多かった。(舘(68Trb→Ob))
☆私にとって、最初に演奏した交響曲がドヴォルザークの第8番だったのですが、OBオケ(1996年)で(最初に)演奏したのもドヴォルザークの第8番。第2回定期演奏会のときには、オーボエのエキストラは土屋一郎先生で、先生がイングリッシュホルンも吹かれたのですが、OBオケのときには、私が吹きました。土屋先生は奥様が合唱の方に出られていたので、会場には見えていたらしいのですが、...。(檜垣(72Ob))
■昭和54年度(1979)班長:望月(71Trb)→鱸(72Cb)、指揮:竹内(71)、長島先生
新入生歓迎会(中・高)
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲
第3回広島県高校音楽祭(広島基町高校にて)
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲
第3回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、8月1日)
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲、
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調、 同 第3楽章の一部(アンコール曲)
学校祭
(中)ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 第1楽章、ブラームス/ハンガリー舞曲第5,6番
(高)上記の3曲、ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤコーラス”
卒業生送別会
(中・高)ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“間奏曲”、
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」第3楽章
卒業式(弦と木管のみ)
前年度と同じ
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★定演では、まだOB以外のエキストラを相当数必要としていた。(舘(68Trb→Ob))
☆熱心に附属に通うOBたち:当時OBの長老格だった児島さん(65Vn)は、定演の練習や合宿には、いつもどこからともなく湧いてくるように現れて、「またコヂマが湧いてきた」などと冷やかされていた。また冗談ではあるが、児島さんを誘い出して捕らえる「こぢまホイホイ」を、保手浜さん(69Fg)が制作してウケていた。当時は児島さん以外にも平尾さん(68Per)や寺本さん(68Vn)など、定演直前でなくとも熱心に一音(第一音楽室)に通う広島在住のOBは多かった。(舘(68Trb→Ob))
★OB会設立:この年の定演後にOB会を設立した(アカシア会非公認)。平尾,寺本,舘を中心に。
☆送別会で平尾さんが指揮者として“デビュー”した。(平尾(68Per))
■昭和55年度(1980)班長:鱸(72Cb)→南部(73Fg)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中・高)ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」第4楽章
第4回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、8月1日)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」、ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」、
アンダーソン/「タイプライター」(アンコール曲)
学校祭
(中・高)ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 第1楽章、J.シュトラウス/ポルカ「狩り」
卒業生送別会
(中・高)ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 第3,4楽章
卒業式(3月13日)
不明(前年度と同じ?)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★第4回広島県高校音楽祭は出演せず?(舘(68Trb→Ob))
☆EnglishHornなしの「新世界」:定演の「新世界」第2楽章のEnglishHornの旋律は、Oboeで代用して私が演奏しました。私は高校卒業後にObに転向して2年余り、当時は怖いもの知らずで、本番もOboeで吹いて良いとおっしゃった長島先生の言葉を受けて、Oboeで吹きました。しかしOboeでは音色、音程、音量のコントロールの難しい最低音域で、今ならこういう冒険はできないでしょう。(舘(68Trb→Ob))
☆活発なアンサンブル活動:管弦楽班としての活動ではないですが、確か1980年頃に75回卒(?)相当の方々が有志でアンサンブルを組んで、アニメのテーマソングなどを取り上げたことがあったと思います。また1980年の文化祭では、杉原さん(71Vn)、松村さん(71Pf)、児玉さん(73Vc)による、ベートーヴェン「大公」トリオの演奏があり、これはすごかった。(檜垣(72Ob))
☆たしか、高3の文化祭でした。放課後はオケや合唱班の練習があるので、ひそかに昼休みを使って合わせをしていました。幸か不幸か、当時はまだホームビデオが普及していなかったので、どんな演奏をしたのか今となってはまぼろしです。(青木(松村)(71Cl,Pf→Vn))
☆私はほとんどかぶりつきの席で聞きました。たしか1楽章だけだったと思います。すばらしかったし、とてもうらやましく感じました。(石井(71Per))
■昭和56年度(1981)班長:南部(73Fg)→伊藤(74Vc)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中・高)ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 第3,4楽章
第5回広島県高校音楽祭
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 第1楽章、
ハチャトゥリアン/バレエ組曲「ガイーヌ」より"ばらの少女たちの踊り"
第5回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、8月3日)
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調、
ハチャトゥリアン/バレエ組曲「ガイーヌ」より“剣の舞”,“子守歌”,“ばらの少女たちの踊り”
“アイシェのめざめと踊り”,“レズキンカ舞曲”
同 “ばらの少女たちの踊り”,“レズキンカ舞曲”(以上2曲はアンコール曲)
学校祭
(中・高)ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 第3,4楽章
卒業生送別会
(中・高)ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 第1楽章
卒業式
不明(前年度と同じ?)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★定演の主要なパートは現役生が演奏するようになり、OBによる演奏支援も充実。(舘(68Trb→Ob))
☆定演アンコールのレズキンカの盛り上がりは今も耳に残ってます。(舘(68Trb→Ob))
■昭和57年度(1982)班長:伊藤(74Vc)→十河(75Va)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中)ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 第2,4楽章
第6回広島県高校音楽祭
ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 第3,4楽章
第6回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、8月12日)
ハイドン/オラトリオ「天地創造」第1部より(合唱班と合同)、
R.コルサコフ/スペイン奇想曲(Vn独奏:杉原(71))、
ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調、J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(アンコール曲)
学校祭
(中・高)ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲
卒業生送別会
(中・高)ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“牧歌”,“間奏曲”,“メヌエット”
卒業式
不明(前年度と同じ?)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★定演では初めて合唱班との合同演奏を実施した。
★奏者も楽しむポルカ「狩り」:この頃は、ポルカ「狩り」は管弦楽班の"十八番"。クラッカーを鳴らして演奏者も楽しんでいた。(舘(68Trb→Ob))
☆「狩り」では、クラッカーをファゴットのベルに仕込むのを常としていた人もいましたね。(山崎(77Cl))
■昭和58年度(1983)班長:十河(75Va)→引野(76Trb)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中)ブラームス/交響曲第2番ニ長調 第1楽章
第7回広島県高校音楽祭
ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“牧歌”,“間奏曲”,“メヌエット”
第7回定期演奏会(安田リョウ記念講堂にて、8月)
ビゼー/組曲「アルルの女」より“牧歌”,“アダージェット”,“鐘”,“間奏曲”,
“メヌエット”,“ファランドール”、
ブラームス/交響曲第2番ニ長調、ブラームス/ハンガリー舞曲第5番(アンコール曲)
学校祭
(中・高)シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」第1楽章、
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より”ハレルヤコーラス”
卒業生送別会
(中・高)シューマン/交響曲第1番変ロ長調「春」 第1楽章
卒業式
(中・高)(弦楽合奏)バッハ/組曲第3番より“アリア”、ヘンデル/「ラルゴ」 、蛍の光
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
☆私はOBとして定演に参加しましたが、現役生の人数も増え(女性の比率が高く"宝塚"的になりつつあった)演奏技術も充実し、管楽器のOBもほとんどはアシストでの参加だったと記憶しています。(舘(68Trb→Ob))
■昭和59年度(1984)班長:引野(76Trb)→重満(77Vc)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中・高)ブラームス/ハンガリー舞曲第5番、アンダーソン「タイプライター」
第8回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」、シューマン/交響曲第1番変ロ長調「春」
J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(アンコール曲)
学校祭
ベートーヴェン/「エグモント」序曲、ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤコーラス”
卒業生送別会
(中・高)ドヴォルザーク/交響曲第6番ニ長調 第3楽章
卒業式
(中・高)前年と同じ。弦楽のみの参加。
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★第8回広島県高校音楽祭は参加せず?
★重満さん(77Vc)が班長に就任。女性の班長は初。(中学の管弦楽班班長では以前から女性の例もあった。)
☆当時、私はOBとして定演に参加。現役生だけで曲の大枠ができ上がるような時代になったことに、隔世の感。長島先生をはじめ、OB,現役生の皆さんの努力の成果と感じました。 (舘(68Trb→Ob))
■昭和60年度(1985)班長:重満(77Vc)→金築(78Trp)、指揮:長島先生
新入生歓迎会
(中・高)ブラームス/ハンガリー舞曲第5番、アンダーソン/「タイプライター」 (←ドボ6だった?)
第9回広島県高校音楽祭
ドヴォルザーク/交響曲第6番ニ長調 第3楽章
第9回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて、附属創立80周年記念)
ベートーヴェン/「エグモント」序曲、ドヴォルザーク/交響曲第6番ニ長調、
同 第3楽章、J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(以上2曲はアンコール曲)
学校祭
??
卒業生送別会
(中・高) ??
卒業式
(中・高) ??
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★新入班員の当たり年:高1が新角さん(78Per)達、中1が吉田さん(81Per)達の年。特にVn、Trp、Percに即戦力の逸材が入り、「神風が吹いた」と言われた。(山崎(77Cl))
☆高校音楽祭の指揮者はOBの平尾さんだった。「指揮、平尾先生」のアナウンスに、舞台上で顔を見合わせて笑いました。(山崎(77Cl),平尾(68Per))
★7月下旬に福山青年の家(?)で合宿。OB数名と中一1名が特別参加。(山崎(77Cl))
■昭和61年度(1986)班長:金築(78Trp)→宮本(79Cl)、指揮:早志先生
新入生歓迎会
(中・高) R.コルサコフ/スペイン奇想曲(Vn独奏:水上(78))
広島県高校音楽祭(府中市)
ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲
第10回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲、
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調、J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(アンコール曲)
学校祭
スッペ/喜歌劇「軽騎兵」序曲 ?
卒業生送別会
(中・高) ??
卒業式
(中・高) 卒業式セット?
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
☆掛け持ちの打楽器奏者:歓迎会は、打楽器が一人しかいないのにどーするの!って言っていました。結局、一人で小太鼓とシンバルとティンパニを掛け持ち。ビオラの矢田さん(81)にはカスタネットを突然お願いした。(新角(78Per))
★歓迎会の水上さん(78Vn)のソロにあこがれて中1(=82回卒)のVnがたくさん入った。(三宅(82Trb,Vn))
☆でも、打楽器奏者を作らねばと、全員打楽器を半月ぐらいやってもらった(?)。「なんでせんといけんのん、こんなこと・・」というのが見え見えの子も多くて、難渋したような気がします。(新角(78Per))
★早志先生就任。
★定演のアンコールは、生徒が「狩り」をやりたいと早志先生に直訴したと聞いています。(舘(68Trb→Ob))
★ドボ8の3楽章で演奏妨害(客席から声)が入ったが、皆めげずに最後まで演奏した(山崎(77Cl))
■昭和62年度(1987)班長:宮本(79Cl)→熊田(80Vc)、指揮:早志先生
新入生歓迎会
(中・高)リスト/交響詩「前奏曲(レ・プレリュード)」 ←?(三宅(82Trb,Vn))
広島県高校音楽祭
リスト/交響詩「前奏曲」
第11回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
リスト/交響詩「前奏曲」、シューベルト/交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」
J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(アンコール曲)
ネーメ・ヤルビ率いるスコットランド・ナショナル・オーケストラと共演(講堂)(三宅(82Trb,Vn))
学校祭
J.シュトラウス/喜歌劇「こうもり」序曲 (←たぶん。(梶(81Vn)))
卒業生送別会
(中・高) ??
卒業式
(中・高) 卒業式セット?(三宅(82Trb,Vn))
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
☆定演は長大な曲でしたが、疲れを知らない現役生の若さ、パワーを感じました。(舘(68Trb→Ob))
★音楽之素社結成?? (三宅(82Trb,Vn))
☆ネーメ・ヤルヴィ氏の思い出:スコットランド・ナショナル・オーケストラとの共演は、本来ならとうに引退している時期(11月?)だったのですが、私も受験勉強そっちのけで参加させていただきました。子供相手にもかかわらず本気で語りかけるヤルヴィ氏の英語が、だんだんスコッチ訛り?になってきて、誰も聞き取れなくなった、というのも懐かしい思い出です。しかし、よくよく考えるとすごいイベントでしたねぇ。(新角(78Per))
■昭和63年度(1988)班長:熊田(80Vc)→松本(81Fg)、指揮:早志先生・中川先生
新入生歓迎会
(中・高) ??
広島県高校音楽祭
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」第?楽章(3か4楽章のはず(梶(81Vn)))
第12回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
J.シュトラウス/喜歌劇「こうもり」序曲、
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤコーラス”(合唱と合同)、
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」、J.シュトラウス/ポルカ「狩り」(アンコール曲)
学校祭
??
卒業生送別会
(中・高)??
卒業式
(中・高)卒業式セット
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★箱田先生退官:定演のハレルヤコーラスは箱田先生の退官記念演奏だった。
☆定演の「新世界」第2楽章のEnglishHornは、第4回定演のようなoboe代用ではなく本物を使いました。(舘(68Trb→Ob))
☆定演の日に、長島先生が翌日の新広島フィル演奏会出演のため来広され、打ち上げコンパにおいでになりました。(舘(68Trb→Ob))
★昭和天皇崩御(歌舞音曲を控えた)のころ、早志先生が、合奏中に倒れられ入院。(三宅(82Trb,Vn))
★中川先生就任
■平成元年度(1989)班長:松本(81Fg)→野城(82Vc)、指揮:菅先生
新入生歓迎会
(中・高)モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、
ブラームス/大学祝典序曲 ←(?)(三宅(82Trb,Vn))
広島県高校音楽祭(佐伯区民文化センター,6月) (三宅(82Trb,Vn))(大魚(82Cb))(梶(81Vn))
ブラームス/大学祝典序曲(一部カット版)
第13回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、
シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」、ブラームス/大学祝典序曲
学校祭(講堂、9月)
ウィリアムズ/映画「スーパーマン」のテーマ(菅先生の編曲)、同/映画「ET」のテーマ
卒業式
(中・高) 卒業式セット
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★菅先生就任(この年は非常勤、厳密には翌年に就任)。
☆新入生歓迎演奏会で、「ドン・ジョヴァンニ」を演奏したように思います。「中・高生がこんな難しい曲をやるのか」と驚き、バイオリンの「ティヤタタ・ティヤタタ」の処理に困って、早川先生のところに相談に行きました。それと当時高1だった三宅君(82)がトロンポーンをバイオリンに持ちかえて演奏していたことには「器用な生徒がいるものだ」と恐れ入りました。(菅先生)
★定演直前合宿:合宿復活。定演直前合宿を行ない、高校生のみ学校に宿泊。S中学校柔道部の畳を借りて、書道教室・数学教室に敷いて寝た。
☆体育の中本先生と、ぼろトラックでS中学校まで畳を借りに行った。(三宅(82Trb,Vn))
☆借りた畳がずいぶんぼろかった。夜の一音で「未完成」の冒頭を聞くのは怖いものがあった。(大魚(82Cb))
★三滝合宿:平成2年4月に初めて実施。中学生も一緒に三滝少年自然の家で合宿した。(三宅(82Trb,Vn))
☆合奏の録音を合宿の夜みんなで聞いて、1日で合奏が良くなったのをよく覚えています。(大魚(82Cb))
■平成2年度(1990)班長:野城(82Vc)→竹田(83Va)、指揮:菅先生
新入生歓迎会
J.シュトラウス/ラデッキー行進曲 ←?(三宅(82Trb,Vn)) ←歓迎会は実施せず?(大魚(82Cb))
創立85周年記念式典(フェニックスホール)
校歌、ブラームス/交響曲第2番ニ長調 第4楽章、佐藤真/「大地讚頌」(全体合唱)
広島県高校音楽祭(呉市民文化センター)
ビゼー/「アルルの女」第2組曲より “間奏曲”
第14回定期演奏会(広島市青少年センターホールにて)
ビゼー/「アルルの女」第2組曲より“間奏曲”,“メヌエット”,“ファランドール”、
ブラームス/交響曲第2番ニ長調、J.シュトラウス/ラデッキー行進曲(アンコール曲)
学校祭(講堂、9月)
「天空の城ラピュタ」のテーマ、「風の谷のナウシカ」のテーマ(2曲とも菅先生の編曲)
卒業式
(中・高) 卒業式セット
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★85周年記念式典の「大地讚頌」の演奏中、上から風船が降ってきて割れまくり、うるさくて演奏どころではなかったというハプニングがありました。(大魚(82Cb))
★高校音楽祭に、高校生のみで参加した。(三宅(82Trb,Vn))
☆合宿中に吉田先輩が野外にテントを張って参加、菅先生に怒られる。(三宅(82Trb,Vn))
★定演本番10日前に「アルルの女」の“メヌエット”の演奏を決定。なかなかすごいことをやりました。(大魚(82Cb))
☆かわいそうなドボ7:定演は第7回に似たプログラム。対立候補ドボ7は僅差で落選。以後毎年候補にあがる(あげる)が、選ばれない。ドボ7かわいそう。(三宅(82Trb,Vn))
★青少年センターとお別れ:第14回定演は青少年センターでの最後の定演だった。(三宅(82Trb,Vn))
☆前年の定演で青少年センターのステージを見て,「せっかく暑い中一生懸命練習しているのにこのホールで演奏するのはもったいないなあ」と正直思いました(天井の反響板がなくて、ナマ音ばかりが聞こえ、AMラジオみたいな響きでした)。それで翌年、西区民や東区民も検討したんですが「南区の学校がなんでわざわざそんなところまで行くんや」と言われてしまいました。だから南区民
が出来たときは本当にうれしかった。(菅先生)
★OBオーケストラ演奏会開催:講堂で12月30日に開催。これは、第14回定演後の“OBによる現役生への音楽教室”実施の提案を発展させたもの。講堂の使用を太鼓矢先生に快諾頂き、菅先生には準備をお手伝い頂いた。野波先生、長島先生、アカシア卒業生の入江さん(53)、福江さん(72)をはじめ、OB50名近くが集まり、弦,木管,金管合奏やベト8,マイスタージンガー,狩りなどを演奏。(舘(68Trb→Ob))
■平成3年度(1991)班長:竹田(83Va)→岩佐(84Fg)、指揮:菅先生
第1回スプリングコンサート(講堂)
チャイコフスキー/交響曲第2番ハ短調 第3,4楽章?、天空の城ラピュタ?、他 (井手口(87Trb))
広島県高校音楽祭(アステールプラザ、6月)
ベルリオーズ/「ファウストの劫罰」より“ラコッツィマーチ”,“妖精の踊り” (大魚(82Cb))
第15回定期演奏会(南区民文化センター)
ベルリオーズ/「ファウストの劫罰」より“ラコッツィマーチ”,“妖精の踊り”、
チャイコフスキー/交響曲第2番ハ短調
ビゼー/歌劇「カルメン」より、「天空の城ラピュタ」のテーマ(合唱と合同)(以上2曲がアンコール曲)
文化祭
エルガー/行進曲「威風堂々」第1番、(ハンガリー舞曲第5番、第6番???)、
?/「大地讚頌」(合唱班と合同)
卒業式
卒業式セット
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★このころにはもう隠善先生も顧問に加わってらっしゃったと思う(?)。(井手口(87Trb))
☆このときはまだ赤チューバを吹いていた。(井手口(87Trb))
☆菅先生がご結婚。メンデルスゾーン「結婚行進曲」を演奏。
☆結婚行進曲の録音テープは,披露宴で入場の時に流されました。でも,だれも中・高生の演奏だとは気づかなかったのでは・・・。とてもうれしい思い出です。(菅先生)
★冬休みに似島合宿を実施(似島はこれが初めて?)
☆似島合宿期間中にクリスマス会、斉藤先輩のトド芸、ケーキが出た。(井手口(87Trb))
■平成4年度(1992)班長:岩佐(84Fg)→沖松(85Vc)、指揮:菅先生
新入生召集(講堂)
校歌、 威風のトリオ
第2回スプリングコンサート(講堂)
?
第1回安田・附属管弦楽交歓会(安田リョウ記念講堂にて)
?
第16回定期演奏会(南区民文化センター)
エルガー/行進曲「威風堂々」第1番、シャブリエ/狂詩曲「スペイン」、
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調、合唱班と合同で「小さな世界」(アンコール曲)
文化祭
(高)?/行進曲「国民の象徴」、ウィリアムズ/「ETのテーマ」、(カルメンも演奏した?)
(中)?/「星に願いを」(中学生のみで演奏)
広島県高校音楽祭(府中市にて)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」
卒業式
バッハ/組曲第3番より“アリア”、ヘンデル/「ラルゴ」
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★台風直撃の定演:定演当日はもろに台風直撃だった。(井手口(87Trb))
☆定演で狂詩曲「スペイン」を演奏するにあたって,三原智代さん(当時、呉養護学校教諭)に、大学の先輩・後輩のよしみでハーピストとしてお手伝いいただきました。翌年の「シェヘラザード」もそうですが、三原さんのハープのおかげでとても華やかで優雅な響きになりました。(菅先生)
☆定演は、本番中に停電があったら速やかに舞台から降りるよう指示がありました。電気で舞台上の装置を支えているため危険らしいのです。(大魚(82Cb))
★文化祭で文化屋復活、名前を「海月の味」に決定。このネーミングは田村(85Cb)だった(?)。この名前は現在(1999年)も踏襲。(井手口(87Trb))
★この年は高校音楽祭が秋に開催され、会場は府中市だった。(井手口(87Trb),梶(81Vn))
★合宿はこの年から春に実施。
★この年から卒業式は、弦楽四重奏のG線上のアリアとヘンデル/「ラルゴ」のみに縮小。(井手口(87Trb))
■平成5年度(1993)班長:沖松(85Vc)→大崎(86Vc)、指揮:菅先生
新入生召集
校歌、威風のトリオ?
中学クラブデモ
J.シュトラウス/ワルツ「春の声」
第3回スプリングコンサート(講堂、4月22日)
ウイリアムズ/「ET」のテーマ(菅先生編曲)、ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より“冬”第2楽章、
行進曲「国民の象徴」(管楽)、R.コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」第3,4楽章
第2回安田・附属管弦楽交歓会、(安田リョウ記念講堂、6月27日)
附属側の演奏:校歌、R.コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」第2楽章、
合同演奏:シベリウス/交響詩「フィンランディア」
第17回定期演奏会(南区民文化センター)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」、
R.コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」(Vn独奏:谷(85))、
文化祭(含、海月の味)
星に願いを、小さな世界、ミッキーマウスマーチ
卒業式
バッハ/組曲第3番より“アリア”、ヘンデル/「ラルゴ」
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
☆チューバが入った!:この春に、広大からお下がりのBチューバが入ったんです。さんざん赤チューバに手間取ってましたから、あのときの感動といったら・・・・。これでチューバパート独立ができるぅぅぅ、と叫んでましたが、結局97年に1年間独立しただけで、現在後継者が途絶えています。求む後任者!(井手口(87Trb))
☆研究や仕事で大学に行くときは必ず早川先生に古い楽器をねだっていました。チューバの他にも,バイオリン・コントラバス・ファゴット・ホルン・オーボエを配置換えしていただいたと思います。(菅先生)
★赤木指揮者デビューは中学クラブデモのときだった?(井手口(87Trb))
★第18回定演選曲、一度ブラ2に決まった後、ひっくり返ってグレートに。(井手口(87Trb))
★高校音楽祭にはこの年から数年、出演していない。(1996年に復活?)(井手口(87Trb))
■平成6年度(1994)班長:大崎(86Vc)→佐々木(87Ob)、指揮:菅先生
第4回スプリングコンサート(講堂にて、合唱班と合同開催。4月18日)
校歌、ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、
ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」より“春”第1楽章、「センチュリア」(管楽)、
シューベルト/交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」第1楽章
第3回安田・附属管弦楽交歓会(安田リョウ記念講堂)
附属側の演奏:シューベルト/交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」第4楽章
合同演奏:セントポール組曲、「センチュリア」
第18回定期演奏会(南区民文化センター)
ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、
シューベルト/交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」
文化祭 (含、海月の味)
エルガー/行進曲「威風堂々」第4番
全国附属学校連盟中国地区大会?(全日空ホテル)
エルガー/行進曲「威風堂々」第4番
卒業式
バッハ/組曲第3番より“アリア”、ヘンデル/「ラルゴ」
第1回似島コンサート(春合宿中に実施)
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 第3,4楽章、エルガー/行進曲「威風堂々」第4番、校歌
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★男子班員の減少:この辺りから、男子班員の“氷河期”。井手口(87Trb)と竹本(87Trp)の2名だけという状態が、次の春まで続いた。その後は回復した模様。(井手口(87Trb))
☆第19回定演選曲、ドヴォ7に決まりかけたが、私が無理矢理ひっくり返してチャイ5に。(井手口(87Trb))
★菅先生送別会
■平成7年度(1995)班長:佐々木(87Ob)→谷本(88 )、指揮:原先生
創立90周年記念式典(フェニックスホール、指揮は特別ゲスト菅先生)
校歌、校歌(弦楽版)、開校記念日の歌、学生歌、チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 第4楽章
第4回安田・附属管弦楽交歓会(附属研修館)
附属側の演奏:校歌、チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 第1楽章
合同演奏:ビゼー/組曲「カルメン」より
第19回定期演奏会(南区民文化センター)
エルガー/行進曲「威風堂々」第4番、
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調、ビゼー/「カルメン」より??(アンコール曲)
文化祭
卒業式
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★原先生就任:この年から、原先生が就任された。
原先生の附属オケデビューは、初見大会の「マイスタージンガー」
☆原先生は,私の三つ下の後輩。学生時代は「プーヤン」と呼ばれていました。たぶんクマのプーさんのようなおだやかな表情から来ているのだと思います。学生時代から音楽センスはすばらしかったので,本当によい方に後を引き継いでいただけたと思っています。(菅先生)
★講堂改装工事のため、この年の新入生召集、スプリングコンサートは中止 (井手口(87Trb))
■平成8年度(1996)班長:谷本(88 )→湯浅(89Ob)、指揮:原先生
第5回スプリングコンサート(講堂にて、4月)
J.シュトラウス/ラデッキー行進曲、ドリーブ/バレエ組曲「シルヴィア」より、
モーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K.525(弦楽)、
ハイドン/ディヴェルティメント(木管)、「天空の城ラピュタ」より“ハトと少年”(金管)
シベリウス/交響曲第2番ニ長調より、第3,4楽章
第20回定期演奏会(南区民文化センター)
エルガー/行進曲「威風堂々」第1番(?)、シベリウス/交響曲第2番ニ長調
文化祭
卒業式
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★定演は、アカシアフィルハーモニー管弦楽団(OBオケ)との合同演奏。管弦楽班の演奏に先がけて、OBオケがドヴォルザーク交響曲第8番を演奏した。
■平成9年度(1997)班長:湯浅(89Ob)→山崎(高III )、指揮:原先生
第6回スプリングコンサート
第21回定期演奏会(南区民文化センター)
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調
文化祭
卒業式
■平成10年度(1998)班長:山崎(高III )→堀(高II Cl)、指揮:原先生
第7回スプリングコンサート
第22回定期演奏会(南区民文化センター)
エルガー/行進曲「威風堂々」第4番、
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」
渡辺俊幸/大河ドラマ「毛利元就」メイン・テーマ
文化祭
全国高等学校オーケストラフェスタ(東京・日本青年館ホール、1999年1月9日 )
シベリウス/交響詩「フィンランディア」、ジマー/映画「バックドラフト」より
卒業式
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★初めての遠征:全国高等学校オーケストラフェスタへの出演は、初めての広島県外への“遠征”。アカシア会、母校、OB会 からも種々の援助を戴いた。東京近辺在住のOB数名も聴きに行き、母校管弦楽班の演奏が全国レベルであることを目の当たりにした。(舘(68Trb→Ob))
★全日本高校選抜オーケストラ99(文化庁後援)のオーストリア公演(3月)に管弦楽班から4名が参加。
■平成11年度(1999)班長:堀(高II Cl)→?、指揮:原先生
第8回スプリングコンサート
シベリウス/交響詩「フィンランディア」、ジマー/映画「バックドラフト」より、
チャイコフスキー/交響曲第2番ハ短調 第3,4楽章
文化祭(6月26日)
第23回定期演奏会(南区民文化センター, 8月7日)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」、ジマー/映画「バックドラフト」より、
チャイコフスキー/交響曲第2番ハ短調、ジマー/映画「バックドラフト」より(アンコール曲)
===== その他の行事・エピソード・想い出など =====
★似島合宿を実施(4月)。OB数名も参加。
第24回定期演奏会
■この先輩は、怖かった!?
☆これはもうまず第1に「和田さん」(68Cond・現在はプロの指揮者)。私は、後ろに立たれて間違いを直して頂き、背筋も凍る思いをしました。(山崎(77Cl))
☆1975から77年のコンマス(コンミス)の武田さん(68Vn)は「鬼のコンマス」とも呼ばれていましたね(?)。(舘(68Trb→Ob))
■広島市青少年センターでの定演と広島市民球場の場内放送
☆第1回の定演のとき、2曲めのハイドンの交響曲の楽章の間で、「バッター 衣笠」とアナウンスされるのがはっきり聞こえた記憶があります。このとき私は、降り番でステージの脇にいました。客席のほうまで聞こえていたのかどうかは定かではありませんが...(松村(68Hr))
☆青少年センターでやっていた第14回定演まで(第8回を除く)は、定演と市民球場の応援とは切っても切れないものでしたね。(山崎(77Cl))
■OB同士のカップルは何組?
☆確認されている結婚カップルは4組(?)。
■兄弟・姉妹で管弦楽班に在籍していたのは?
☆松村(68Trp→Hr)-青木(松村)(71Cl→Vn)兄妹、田宮(70Cl)-田宮(74Vc)兄弟、...?
■指揮のスタイル
☆大学で早川正昭さんの指揮に接し、「おお、長島先生の左手のルーツはこれか!」と思った。(石井(71Per))
☆南部さん(73Fg)も同じ事をおっしゃっていました。ちなみに菅先生と原先生も早川先生の門下生だそうです。(山崎(77Cl))
■OBの人数
☆1999年5月現在、私の学年(82回卒)の後に100名のOBがいらっしゃいます。十河さんの学年(75回卒)の後に200名のOBがいらっしゃいます。合計317名が登録されています。(三宅(82Trb,Vn))
■定演出演回数
☆顧問の先生を除くと、定演出演回数20回(1999年8月時点)の南部さん(73Fg)が最多出演者?
☆定演連続出演も南部さんが連続10回を2度記録しています。
■過去の記録(1976年9月学校祭の演奏メンバー):この年の夏に備品のファゴットを買ってもらい、オケの各パートの楽器がようやくすべて揃った。その直後の演奏会が1976年の学校祭でした。第1回定演の前年であり、当時の演奏メンバーの記録もほとんど残っていないと思いますので、参考までに掲載します。
===1976年9月18日(土) 中学・高校学校祭の演奏曲目のうち
ワーグナー/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲の演奏メンバー===
[( )内は学年。当時の高IIIは67回卒、中1は72回卒相当です。]
指揮:和田(II)
Fl:小林(I)、神田(3)、新崎(3)、烏田(2)、河野(2)
Ob:末永(II)
Cl:菊池(I)、大野(2)、松村(2)
Fg:保手浜(I)
Hr:松村(II)、高畑(I)
Trp:藤元(II)、村田(II)、安藤(I)、矢是(1)
Trb:鎌田(II)、舘(II)、富永(1)
Tim:平尾(II)、Triangle:増井(II=賛助)、Cymbal:田辺(II=賛助)
1stVn:河田(III)、武田(II)、松尾(3)、落藤(2)、杉原(2)
2ndVn:寺本(II)、中尾(II)、遠藤(I)、道丹(I)、有田(3)、亀井(3)、竹内(3)、堀江(1)
Va:鮎川(3)、荒木(3)、桧山(1)、野波先生
Vc:山内(I)、横山(I)、吉田(3)、早川(1)、平山(1)、対馬先生(賛助)
Cb:下前(I)、鱸(1)
これが当時の管弦楽班のフルメンバーだったと思います。対馬先生は、野波先生の後輩、長島先生の先輩に当たる方です。この年には横山さん(当時高I,69回卒Vc)のピアノソロでベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番の第1楽章、ナハトムジークの第1楽章、ハレルヤコーラス(inCではなく、inDの原調でやったので、合唱団がかなり苦しそうだった)なども行ない、この盛り上がりが翌年の第1回定演の実現につながってゆきました。(舘(68Trb→Ob))